青年僧の修行に触れて

修行者の特殊能力

 

池上本門寺はいうまでもなく、日蓮宗の総本山として宗門の中心にあり、ここには関東一円のご住持の方々が集まり寺務を執り本山運営をされる一方、次代の青年僧侶たちも修行の一環として実務担当になり詰めている。

かつての建築修業時代、各種迎賓施設の多いこの本門寺内で、永らくそれら工事現場の指揮と設計でお寺に出入りさせて頂いた時期があり、この間、ここで顔を合わせる青年僧たちと仕事を通じていつか雑談を交わす日常をもったが、これが日蓮宗を身近に知る貴重な体験となった。

 

なかでも強烈な印象として思い出すのが、ここで折々立合うことになる日蓮宗独特の読経儀式で、当時この儀式に参加できる機会があると知ると、とても愉しみにしていたものだった。

 

7,8人の青年僧たちが、片手を僧衣の腰にあて、もう片手にモッケンという二枚の木片を高々と振りかかげてカンカンと甲高い音で打ち鳴らし、叫ぶがごとく朗らかに大きな声で読経を唱えてゆく様子は圧巻だった。

最後にナムミョウホウレンゲキョウを力強く連呼するその元気の良さは、他宗では見られないものだったが、終了後の耳鳴りがするほどの聴覚の痺れは、いつもきまって洗礼を受けたような一種爽快な気分にさせてくれたものだった。

荒行で有名な身延山で修行を経てきた青年僧たちがもつ、迷いのないまっすぐなエネルギ-そのものをもらったと思えるところが貴重だった。実際これを行うのは修行を経た二十代、三十代前半の青年僧たちで、四十代以上の年配僧がしているのは寡聞にして知らない。そこに強烈な祓いとしての働きをみているためなのであろうか。

 

日蓮宗の修行道場として修行の厳しさで知られる山梨県山中の身延山久遠寺。

ここで鍛錬されて下界へ戻った者が周囲へ与えるインパクトには、常人には見えないもの(強い霊感や予知能力、人の心理など)がはっきり見えているというように、驚異的なものがあるそうだが、しかし一旦修行から離れると、時と共にこの能力は薄れてゆくものなのだそうだ。そんなことをここの青年僧たちが普通の体験談として語り、しかし一方、あそこはつらく怖いところなので二度と行きたくない、などと誰もが言っている。

行の中心は瀧行らしいがあまり詳しく語りたがらないのは、俗界で神聖であるべき内容を語ることに、一種の禁忌の意識が働くのであろうと思えた。

 

明治期にいらした浄土宗の山崎弁栄ベンネイ上人という方は、宗教学の紀野一義、数学者の岡潔の著作で広く知られるようになったが、この方が伝説的な定力 ジョウリョク *1 の持ち主であった。幼少からの天分もあったのだろう、ナムアミダブツの称名一筋で心境を鍛え上げてゆき、数々の奇跡的事績を残して逝かれたことで知られている。透視力や予知力をはじめ壁の透過や遠隔地への二所出現など普通には信じがたいことがあった。これらはたまたまその必要から図らずも人目の前へ晒されたことで記録に残ったが、どこまでこの種の能力が備わっていたものか今では全く知りようもない。イ-タカリ-ナ星雲

 

こういう人智を越えた存在は奈良の行基や空海はじめ歴代出現しては、宇宙の闇のなかに突如現われる新星爆発のように、世の凡人に人の持つ可能性について考えるよすがを鋭く提示しているようにもみえるが、諸兄方はこのような世界をどのように受け止められますか。

 

この一年、お付き合い下さりありがとうございました。くる年が皆様にとり、より良いものでありますよう。

 

*1 修行の成果として持つに到った強烈な精神力。

 

※掲示画像は、ハッブル宇宙望遠鏡で捉えたイ-タカリ-ナ星雲

 

 

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武士集団組織に見える数寄屋美

平安末の院政期、都の武士集団が派閥に分かれつつも、各々がその優秀さを競ってゆく中から組織が発展してゆくことで、貴族層に対し武士世界の底上げがなされて行くということがあった。

 

以下の話は、遂には帝と並ぶ権勢を手中にするまでに組織を大きくした清盛の出る数代前のこと。

禁裏御用に就いていた平家一門の様子を伝えている話から。

 

夜も更けたころおい、にわかに御所の奥向き(藤原頼通)より使い番が立ち、禁裏詰めの平氏侍頭のもとへ、都郊外の荘園までお使いをする大臣のお供をして、警護かたがた勤めて参れ、との下命があった。

 

すでに深夜である。

百鬼夜行と言われる、たださえ盗賊の跳梁する都大路を抜け、さらに草深い田舎道を突き進み用を果たし往復せねばならない。よほどの危険を覚悟せねばならないであろう。

 

そう思いながら大臣が牛車に乗り込み禁裏を出るときに様子を窺がうと、その侍頭一人が牛車に付くのみで、大臣の不安はつのるが、さらに外の様子を窺がっていると、街中をゆくに従いまた辻を過ぎたと思う頃合ごとにどこから現れるのか、左右に一人づつ無言のうちに馬上の武士が加わりだし、荘園に着く頃には左右八騎づつの十六騎という数に増えていて、大臣はたいへん心強く思う。

さて用が済み帰る段となり十六騎が牛車の左右に付き都へもどったが、来るときとは逆に辻々へ差し掛かるたびに侍たちは無言のうちに、二人また二人といつのまにか姿を消し、禁裏へ入った時にはもとの侍頭一人が従うのみであった。この大臣は初めて見る平家武士の頼もしい様子にひどく感動した、という。(宇治拾遺物語)

 

あの時代に、こんな垢ぬけた組織作りを武士集団の平家はやっていたのだ。伝令役がいたのか、空に上がる合図のようなものがあったのか、日頃よほどの訓練で用意されているのだろう。ここでは屈強の16騎ながら、現れた相手が多人数であれば、おそらくこの5倍10倍の兵が忽ち駆けつけるしくみも出来ていたことを想像させるに充分なエピソ-ドだ。

ここでは平氏一門だが、これと対になるような話は源氏にもあるのだから、やがて来る武士の時代はこのような切磋琢磨の中から磨かれて、当然のように生じたものなのだ。

 

貴人の護衛部隊という目的を果たす上でどういう組織を作ったらよいか。その際、侍頭には貴人へのパフォ-マンスという意識がしっかりあったに違いあるまい。

騎乗の武者という構成各個人(恐らく見栄えのする堂々たる偉丈夫だったろう)の選別にみる優秀さと、これらを組織するのに一見切って落としたような単純さ(16人)の構成美で表現して見せる見事さ。

 

まるで、これはものを省きながら、残った構成材に極度の完成度を求めている数寄屋の見せ方そのものにも思える。

 

 

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