利休の建築的才能について

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京都に秀吉の作った聚楽第は、城であるとともに、家臣の居住区をもつ地方出身者たちの新興住宅地でもあった。

ここに秀吉から屋敷地を拝領することは秀吉に従う者たちの名誉であり、ステ-タスでもあったから、大名小名みな競って金銀いらかを並べた数百軒の屋敷がたちまちに出来上がった。

 

その中に、寺ともなく武家とも見えざる家があった。その門は二重屋根に瓦を並べ、内の住まい由ありげにして、高くもなく、低くもなく、勾配そらず、勾配早くもなくぬるくもなく、破風口、こし廻りに至るまで他家に替り様子のしおらしいことは、言葉に表しようがないほどである。

あまりのことに、門の傍らにいた小者に、こちらはどなたの住まいかと問えば、利休居士のお屋敷である、と。

ここで記録者は初めて納得することになる(佐久間不干斎の明記集より)のだが、これだけの表現でも、利休屋敷の好もしさが数寄屋好きにはピンと響くはず。是非にも見たかったものだが、失われたのが惜しまれる。

 

その評判は、四国の長宗我部が利休に茶屋(社交場といった位置づけ。)の設計(施工も)を依頼しているように、諸方の求めに応じて利休好みの屋敷を作ってあげていた様だ。職人の差配も利休が世話をしたであろうことを思うと、優秀な設計者というにとどまらず、企画から引き渡しまでこなしてしまう現代なら有能でやり手のディベロッパ-を想像してしまう。

 

ちなみに利休は身長180センチを超える当時では大男だったそうで、外観もエネルギッシュだ。こういう利休が小男だった秀吉の前に出ているところを想像すると、二人の対比は傍目にも奇妙なものに映っていただろうが、それを誰よりもわかっている大男の利休が、憑かれた様に次々と茶室の小型化を進めて行くのだ。

確かに注目をもって話題となったことであろう、体の小さな男が身に合った小さな入れ物を作ろうというのではないのだから。

 

茶室の小型化ということ、この項つづく。

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松原設計室
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