プロフィール

数寄屋の置かれた状況

建築設計の専門家という人のなかにも、「数寄屋は自由だ」「なにをやってもよいのだ」と言って憚らぬ人たちが昨今増えています。果たしてそうなのでしょうか。

「数寄屋の歴史」でも触れましたが、これは明らかな誤りです。数寄屋はその発達の歴史のなかで各方面に分岐して、それぞれの世界に相応しいデザインや決まりごとを獲得して、全体としては棲み分けてきました。たとえば、宮廷の意匠を町場に転用するのは不似合いなことであり、色街の意匠をお邸に持ち込むのは不見識なことで、無知と非難されても文句の言えない行為でした。

今はそんな伝統も学ばれることなく、お客さんを説得するどころか自ら提案をする設計者が増えています。和建築のためには愁えるべき現況で、今後は数寄屋を愛する建主の力も得て、数寄屋への大いなる関心と正統な感覚を取り戻すよう、広く訴えたいものです。

数奇屋と私

数寄屋との出会い

それは「ある時、突然出会った」というのではなく、ごく小さい頃から、日本的習慣(古物が溢れていた我が家の蓮池の汀の観音像、床の間の書画、たまに母が活ける生花、四季の習慣、節分の鰯飾り、3月の雛飾り、5月の菖蒲湯、暮れのゆず湯、近くの神社の夏冬ごとの茅の輪くぐりや熊手売りの賑やかな売り声など市の風景、祭礼の山車や御輿、風鈴売りや金魚売り、棹竹売りの声の気配など)を、周囲で見聞きするなかで、自然に育まれてきた嗜好だったようです。

後に高校時代に物づくりの好きななかでも建築を選んだ際には、欧米のボイジイやライトといった建築家の、それはそれとして好ましい住宅と評価しつつも、一方で数寄屋作品の出る雑誌を購入するほど、やはり自分としてはこの道を究めたい、という気持ちがありました。

数寄屋の世界への初めの一歩

しかし、「どうしたら数寄屋の設計ができるようになるのか」皆目見当がつきません。いろいろと調べるうち、どうやら数寄屋の技術を積み上げ伝承しているのは大学の建築学部などでなく、専門工務店であること、深川・木場あたりにその世界では著名な会社のあることが分かったところで、「紹介以外採らない」というのを、直に訪問して、設計部長、社長と面接を受け、なんとか入社を果たした。それが当時の石間工務店でした。

数寄屋を学ぶ、とは

設計部員とは言うものの、「現場を知らぬ者に図面は描けぬ」と、入って何年間かは専ら都内のお邸や赤坂や浜町の料亭街の修繕工事に明け暮れるなか、ようやく数寄屋の世界が空気のように身についてきました。それは、数寄屋を身につけたい一心で図面やら材料やら工程やら手探りで疑問を探りつつ、大工棟梁はじめ瓦屋、左官屋、建具屋、経師と、機会を見つけてはやたらと聞いて初めて答えてくれる、一歩ずつの探求でした。先輩や職人に実地で煽られながら大きくなっていく、学校とは違う独特の世界です。

数寄屋を身近なものに

お客さんの要望とイメージを、改めて自分のなかに構築し直したものを図面に反映する。現場では、完成に向かっているものをどこまでお客さんと自分のイメージに近づけられるか、それが設計監理だとも言えます。
やり方によっては、数寄屋のセンスを感じるものは洋風手法を用いても表現可能だと考えていますが、日本人にとっては、なんと言っても日本の伝統表現のなかでこそ、それは最高の表現を得ると思っています。

日本の伝統建築は夏を基準として考えることが多いのですが、たとえば、夏の暑い一日の夕べ、風呂上がりのゆったりとした気分を、風の吹き通る数寄屋のたゆたう空間のなかに、時を忘れて憩うというのは、至福の贅沢ではないでしょうか。そんな、季節のなかの時々の気分を存分に満足させるのが数寄屋なのです。

風情ある開放的な空間を愉しんでもらいたい、数寄屋で過ごす快感を味わってもらいたいと思います。