御簾越の姿

2018/01/25 ブログ
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女姓の不注意から起きるかもしれない不始末 

 

欠けたることのない望月を謳歌した、かの藤原道長は一条帝の時代(西暦1千年ころ)の人だが、この時代は彼の娘である中宮彰子 チュウグウショウシ*1 に仕えた紫式部の時代でもあり、彼女の才能を高く評価した道長から頻繁に高級料紙(原稿用紙として)を与えられたり、ときには求愛されたこともあるなど、こうして身近に接していた道長をモデルとして主人公光源氏を造形していたことは有名な話だ。

このようなわけで源氏物語の舞台は、同時代の宮廷の建築世界でもあったから、その文章から当時の人の住まい方が見えてくる所がまたおもしろい。

そこで今回は、御簾 ミス をめぐっての話。御簾とは高級すだれのことで、竹ひごを編んで周囲を布で縁廻したものを言い、へやとへや、へやと広縁の間に鴨居より吊り下げ結界として使ったものが、以下の話の小道具となっている。

 

道長の時代は女性が居間で男と会話するのも御簾越しで声をかわす時代で、顔かたちをあらわに見せることは無論、からだの一部を直接見られることもご法度だから、源氏物語の光宮の幼妻・女三の宮*2 のように、飼い猫が首に付けた紐を引っ張った為に開いた御簾の隙間から顔を見られたばかりに、男から一方的に思いを懸けられ、女の抗弁できぬ幼さから不倫にまで至ってしまうなどということは、思いを懸けた男が悪いとも言えるが、そもそも魅力を纏う身の自覚もない油断をしていた事を思えば、あってはならない当の女の不注意から起きた不始末とされる時代である。

そうなったあとでは、それがいくら深淵のお嬢様で子供っぽさが残っていたからなどと抗弁しても、もはや軽蔑の対象でしかなかったらしい。そのように扱った光源氏が格別厳しいわけではないようだ。*3

用意周到で怖いほどの慎重さが、大人とされる女性に求められる属性だった。

 

次は、それから一世紀ほど後の御所内の風景である。

2月ごろの月夜に、二条院に人々が集まって物語などしていたが、さすがに夜長のこととて話疲れ、眠くなってきたのであろう、その中のひとり周防内侍 スオウノナイシ という女性が横になって、小声で「枕がほしい。」とおもわずささやいたのを、たまたまそれを聴いた大納言忠家という男がこれを枕になさい、と御簾の下から自分の腕を差し入れてきたので、眠気もさめた内侍はとっさに歌で返事をした。それが百人一首に残っている次の歌。

 

春の夜の 夢ばかりなる 手枕タマクラ に かひなく立たむ 名こそおしけれ

(意訳:この春の短か夜の夢ように素敵な、あなたの差し出してくださる手枕一つをここでお借りしたばかりに、あとあとまでいわれない浮名が立つようでは困りますので、どうぞお気遣いはご無用に。)

 

上記の光景からわかることは、室内側に女性陣が群れ、御簾をへだてて一段下がった広縁側に男性陣が居並んで長夜の宴が展開されていた、ということ。

ここで疑問におもうのは、二月の月夜とは旧暦のことだから今の3月下旬としても、夜半はまだ寒そうな時期だ。

御簾があるとはいへ室内の女性陣も、室外の広縁の男性陣はなおさら、その寒さをどうしのいでいたのだろう。

さらにこの座に帝もいたとしたら、どのような位置に、どういう衣服状態でくつろいでいたのであろうか。

 

じつは一つの事実として分かっていることがある。貴族の邸宅に努める中級しもべ達には部屋が与えられず、夜間は吹きさらしの広縁(家の外だ)の一隅で寝を取っていたという時代考証がある。

このことから類推すると、早春の夜のいっとき程度の寒さは、しばし風雅に身をやつす遊びに参加する栄誉に比べれば、その主人たちにとってもどうにかしのげることだったのだろう。考証で明らかとは言え、この辺の事情は現代人の理解を超えるため映像で描かれることはないが、それにしても下部には残酷な扱いというしかない。

 

 

*1  中宮とは帝の正妻である女性の称。 

 

*2  光源氏の正妻には 紫の上 という理想的女性がいるが、このほかにそれぞれの理由で何人かの女性が身辺におり、女三の宮は亡き兄帝から託されて妻に迎えたその兄の愛娘であり、あまりの子供っぽさと上記の成人女性としてのたしなみの無さゆえに、夫である光から女性としての関心をもたれることがなかった、という事情がこの事件の背景にある。

 

*3  このことで偶然この御簾の隙間から女三の宮の容姿を目にしてしまった光源氏の親友頭の中将 トウノチュウジョウ の息子・柏木 カシワギ は恋に煩い、遂には女三の宮に通じて子を成し、この罪悪感から悩み死んでしまう。これを考えれば女性のこの種の不注意はまことに罪深いと言わざるをえないわけだが、この展開は事情が込入って面白く、解説仕出すときりがないところなので、未知の方は簡潔な圓地文子訳あたりで、ぜひ御一読を。

 

 

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