茶室の出入り口:茶道口と給仕口

2017/02/15 ブログ
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亭主側が使う茶室内への入口に、茶道口と給仕口があり、茶室の作りによっては茶道口一つで給仕口を兼用することもある。

どちらも透かし骨という手法で作られた切り引手(ちりおとし、とも呼ぶ)のある奉書紙による太鼓襖のスタイルだが、その高さと出入りの仕方には違いがある。

 

給仕口は主に懐石の料理の上げ下ろしに使い、襖をあけた初めから立って歩くという所作がないため、その高さも120センチ程度に抑えてある。何度かにじって懐石盆とともに膝を進めるようにして移動するので、狭い室にはよく似合う。

 

対して茶道口には給仕口のような溜め(遊び:見た目のおもしろさ)は必要なく、濃茶を点てるという中心主題の目的に沿った所作を無駄なく遂行するため、より機能性を増した構え(主に高さと形)の下を、立った姿勢で出入りする。なにより主人の点茶に至るまでの、そして点茶を終え舞台より退くまでの所作を速やかに進行させるべく考えられている。

 

以前にこの項で、大男の利休が五尺(150センチ)程度の低い茶道口を考案したことを書いた。なぜこれ程低くしたのか、当時の利休の茶会記録からその訳が分かりはしないかと、以前より捜しているのだが・・。

180センチ以上あったという利休の身長であれば30センチも頭をさげるのだから、それは潜(クグ)るというより身を折るように屈んで入ったことだろう。かなりの無理な姿勢だ。

 

利休自身にこの姿を見せまいとする意図があれば、足の不自由な息子道安が工夫したような点前座のまえに仕切壁を付けて出入りの姿を見せないようにすることも可能だったが、そうはしていない。

いっぽうで、この不自然さを多くの茶人が目撃している筈なのに、同時代の茶会記録にこのことを伝える記事がいっさい見当たらないことは、なにを意味するのだろう。

 

多少のヒントがあった。

 

福島正則という武将は日頃から茶が嫌いであった。あるとき利休の弟子となり茶に打込んでいる細川忠興に向かい、「お前ほどの男があんな茶頭風情に教えを乞うとはどういう訳だ。」と聞くので、忠興は嫌がる福島を利休の茶会に連れて行く。一会を終えて出てきた福島は大変な驚きようで「人を前にして、あれほどにこちらの気持ちが攻め込まれたことはない。じつに恐ろしい男だ。」と感嘆したという。多少の形の不自然さを物ともしない優なるものが一会を共にした者の胸に迫り、批評の軽口を封じさせるのかもしれない。

 

茶室出入り口の項、つづく。

 

 

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