有楽という人
昨年のNHK大河「真田丸」で人物像を歪められたという意味で残念な二人がいた。織田有楽斎と平野権兵衛長泰だ。井上順と近藤芳正が演じていた。
有楽は大阪城内で幇間のごときスパイ役を、長泰は剽軽な粗忽者となって描かれていたがあれでは歴史の真実から余りに遠い。
私の描く有楽斎とは争いを好まぬ、美と秩序に掛ける思いの強い人物であり、平野長泰とは公家の名家の血を意識した誇り高い人物である。
史実への探究者を心待ちにして、しばし修正の論を張りたいと思う。
まず茶人としての有楽を利休の弟子のように語る本が多いが、弟子と認められるほどの確証は無論、伝承すら殆どないのが現状だ。
有楽は若いころから武家の儀礼や建築に強い関心を持っていたようだ。後年秀吉前田邸御成りでは秀吉の指名により、室町将軍家御成りを基にした儀礼考証と指導を担当している程の実力者である。
紹鴎の茶に惹かれていた以外、どこまで侘びに共鳴していたか不明だ。
利休弟子説の出所は秀吉が茶の湯の習得を終えたころ、茶の湯修行の秘奥である台子の伝授を今まで利休にさせていたが以後は自分がやる、と言い出して皆がそれに従い秀吉の指導を受けた。
このとき有楽も伝授を願い出たところ、秀吉はどう思ったものか、そちは年来の巧者であるからわしよりも利休から受けるが良い、といって利休にお鉢を回すことがあったと古書は伝える。
これは年来の巧者に授けるおこがましさもあったろうが、今は家臣とはいえかつての主筋に対する遠慮もあったであろう。
有楽流の茶伝書「貞要集」にのる話だが、有楽を利休の弟子としたい人からするとこれが利休の弟子だという根拠になるのであろう。
有楽の項、つづく。
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