有楽という人 その2
有楽(ウラク)の真価について。
有楽が建築に持っていた豊かな創意とバランス感覚、それを彼の茶室の説明とする人はまま居るが、彼が書院建築に見せた数寄屋に通ずるセンスを指摘する人は稀で、それは有楽苑に残されている織田屋形に見ることが出来る。この書院に見られる一見変哲のない中に気付かぬ簡略化(草化)を敢行して過不足ない安定感へと導く才能など、当時では稀有な才能にちがいなかった。
織田屋形も現存しているのは当初のごく一部にすぎないが、全体像への期待と予感には十分なものがある。利休の数寄屋風書院建築であったと思われる聚楽屋敷と、いい対比ではなかったか。後者の現存せぬのが残念だ。
有楽の茶室について言えば、織部(オリベ)などに先んじて茶室に相伴席を付けるバリエ-ションを様々試みたり、後年の官休庵(カンキュウアン)に先立ち早くも極(ゴク)わびの2畳遣り違いの席を考案したり、また三渓園春草蘆3畳台目のような多窓茶室の工夫も付けていて、周囲の先を行く唯ならない創意工夫の持ち主であり、あまりに狭い席は客を苦しめるに似る、として二畳半台目の如庵へ行き着いた人である。
その来歴に利休の名が出ることはまれで、むしろ自身は晩年にいたるまで利休の師とされる武野紹鴎を慕っていたようだ。没後荒れていた紹鴎の墓域を整備し、つくばい石などの遺品を集め、顕彰碑を立てなどしたほか、晩年紹鴎の子息(紹鴎が54歳で亡くなったときわずかに6歳)が後見人指定を受けた姉婿で茶人の今井宗久から遺産横領にあったときには救済の手を伸ばしている。
そういう有楽であるから、利休による草庵化が始まる以前の先輩紹鴎に対して余程の思い入れがあったのであろうが、那辺に心を寄せていたものか、弟子とされる利休に同様の行為がないことでもあり、考えると興味は尽きない。
有楽の項、まだつづく。
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