茶室の出入口:にじり口と貴人口
客側の茶室内への入口には、にじり口と貴人口がある。
古い茶室では単ににじり口を設けただけのものが殆どだが、門跡寺院仁和寺の飛濤亭など公家達貴人が利用する席には出入りの便を優先して貴人口だけ、或いは両方を備えた形がまれに見られた。いまでは両方揃うのが近年(いわば)流行の産物である。老齢となり体を折ることに難儀するようになれば、沓脱に履物を脱いで立ったまま席入りできるのだから貴人口は便利に違いないが、さすがにこれだけでは茶室らしさが出ないということで、隅柱を挟んでその隣ににじり口を設けることになる。もっとも東山山麓・皆如庵(伝高山右近作)のように並列した古例もあるが。この場合は殆ど眺めとしての飾りだ。
にじり口の方は、摂津は枚方の苫舟トマブネの潜り口を利休が見て面白みを感じ、にじり口を初めて試みたというのだが、たちまちこの形式が茶室標準に組み込まれていった。というのも、にじり口出現以前、庭から茶室への出入りは引違障子を使用しているため茶室内はまだ明るかったのが、にじり口を設けることでこの小さな木戸を閉じれば南向きの壁は光から遮られて、茶室内部の様子は薄暗いものに変わり、にじり上の窓の大きさとすだれの着脱で亭主側の演出が思うように操作できる。この劇的変化が利休提唱の侘茶の方向性と重なって一世に好もしく迎えられたことは、想像に難くない。
外部から見た貴人口の一般的形は引違障子だが、桂離宮の松琴亭や遠州の金地院八窓の席など庭からはにじり口があるだけで貴人口はなさそうに見えながら、実は隣室広間から襖引違で茶席に通じる貴人口を設けているという例をみると、当時の貴人とにじり口の相性は好もしくないようだ。堂上公家らの髷を頭の上に高く結い挙げる髪型など風俗上の理由があったことも創造できるが、別に後年、宗旦を尋ねた或る公家(予楽院近衛家煕)が点てられた茶を天目台に載せず普通に出されたことで、自分は貴人なのに相当の礼を受けていないと苦情を申し立てた有名な話もあることで、こういう意識からすると、にじり口からの出入り作法になじまないものが公家世界にあったのはたしかだろう。
貴人口は大きな障子引違となることが多いので、とにかく席中が明るい。これも今風で好まれるところだが古典席からみると、外界からの遮断が弱いぶん俗界を引きずり込んでいて、騒がしい印象が否めない。この視点からすると、利休以後の遠州達大名茶室が寂から遠のいたと言われながら、現代の流行茶室に比べればまだしも俗を遮断していて充分求道的でさえあるといえる。
茶室も時代に合わせて、古典を読み替えることが求められて来た。
現代では貴人をお迎えする目的で貴人口を作ることは稀であろう。現代的な解釈から席中の思想性を残しつつ、出入りの利便性を向上させる方向を探る必要があろう。
例えば織部の燕庵相伴席風に付属室を設け、ここを庭からの出入りとして障子引違(貴人口の名称は避ける)を付けるなら席内の照度も茶室本来の落着きを取り戻し、寄付を別に用意することが難しい現代の住まい事情でも、ここに客の手荷物を置くなど多目的な使い勝手ができることだろう。
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