如心斎晩年の述懐
江戸中期、表千家に如心斎天然(1705没)という宗匠がいた。
千家中興の祖といわれる。
この茶人の出現後から表千家の茶法が大きく変化する、ということが起きた。
その変革は点前にとどまらず道具や教授法、建築にもおよぶ広汎なものであったので、先代以来の弟子達は、利休以来守られてきた茶法が失われてゆくのを見て「古法変ぜり」と嘆いた、と記録にある。
如心斎は幼くして先代を亡くしていたので、教育はその高弟たちに任されていたが、長ずるに及び古法への変革が少数の側近との相談から始まっていった。
千家独特の稽古法である「七事式」の制定がもっとも顕著な成果であるが、これが昔の話などではないことは、建築でいえば畳の敷き方に今も古法を変えた混乱(?)を残す、という形で生きている。
伝統的和建築ではありえない広間の床刺し畳を嫌わないばかりか、小間茶室においてすら七事式広間由来の炉畳の扱い(古法と異なる)を押し通して残している。
これが混乱を作り出しているとの指摘を今もって受ける所以だが、このあたりが建築を作る側がしっかり認識してかかる必要がある箇所だ。
そうしたい流派があるのはやむをえないとして、なぜそうしたことがあるのかを、茶座敷の仕事に携わる者は知っておくべきと思う。
既に記した通り「七事式」は数ある茶道流派の内、千家流の茶事の稽古法としてスタ-トしたものであるので、他流派に関係することではないが、市民茶会などに供する公共施設内の茶座敷などでは、混乱なく共通の使用に耐える一般性のある施設であるべきは勿論であろう。
当初は稽古のためのみの座敷として稽古に便利な畳配列をしたに過ぎなかったものが、茶事となると別の座敷を用意せねばならず、それはなかなかできることではないので、その座敷がいつのまにか家元宗匠の正式の座敷となって、ついにはわが流派はこれでなければ、ということになっていった。
かつて大日本茶道学会の初代家元となられた田中仙樵氏(故人)が盛んに茶の古法を探求されていた時期があり、小生もその研究から様々なことを学ばせて頂いたが、この畳の敷き方の異同についても現存する茶席・座敷を例にあげて、随分な熱意をもって古法への理解を訴えられていたことを記憶する。
先日茶書を見ていて、たまたま如心斎の弟子による晩年の病いの床での述懐記録に出会った。
その内容が、上記の問題を考える者には貴重な証言となるので、記しておきたい。
それは、かつての古法への改変を大変に悔いていた、というものであった。
このことを仙樵氏がご存知だったかどうか。思い合わせて、感慨深い。
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